フロアバレーボール審判協会 nagano

FVの歴史



 フロアバレーボールの起源は明かではなく1959年横浜市立盲学校体育科教諭田中四郎氏が関東地区盲教育研究会(現在の関東地区視覚障害研究会)で「盲人バレー」について発表した記録が残っている。1960年代には各地の盲学校で「盲人バレーボール」と呼ばれて盛んに行われるようになった。
 競技規則としては、1965年岐阜県立盲学校体育科教諭の佐々木徹氏のフットバレーボール」が資料として残っている。
1960年代後半から1970年にかけて、盲学校の間においてブロック大会が開催されるようになったが、ブロック毎にルールが微妙に違っていたため、ブロックを超えての試合は行われなかった。
そこで、1977年全国盲学校スポーツルール統一委員会が、「全国盲学校盲人バレーボール規則」を作成しが広まらなかった。
一方、社会人の間でも1984年に統一ルールについて、日本盲人会連合青年協議会のスポーツ対策分科会の中において検討されていたが、なかなか結論が出されなかった。
そこで、1991年に統一ルールを作成する目的で、第1回全国盲人バレーボール選手権大会が、神奈川県座間市視覚障害者協会(鈴木孝幸会長)の主催で開かれた。
この大会のルールは、全国身体障害者スポーツ協会編の「盲人バレーボール競技規則(1985年制定)」を使用して実施された。
この大会で使用されたルールは、1985年から1992年まで日本身体障害者スポーツ協会発行の競技規則集に掲載されていたものである。
このルールの一部を日本盲人会連合青年協議会(本山裕志会長)が、神奈川県視覚障害者球技審判協会(君嶋武司会長)の牛島秀保・塩沢哲夫の両氏の協力を得て改正を行い、その規則を日本身体障害者スポーツ協会へ提出した。
その結果、1993年身体障害者競技規則集から盲人バレーボールの規則が削除され、1994年11月に現在の規則の基礎となる競技規則集が発行され、独立して歩み始めた。
同年9月に厚生大臣杯の全国盲人バレーボール大会が神奈川県身体障害者連合会・神奈川県視覚障害者福祉協会の主催で、神奈川県視覚障害者球技審判協会が主管し、座間市において開催された。
その後各地で、全国レベルの大会が開催され、現在ではブロックを超えて試合ができるようになっている。
1995年に名称も今までの盲人バレーボールからフロアバレーボールと改名し、障害の有無にかかわらず誰でもできるニュースポーツとして全国に広まってきた。
一方、海外にもアジアの障害者文化交流協会(五十嵐紀子会長)の手によって、1993年・94年マレーシア、95年中国、97年ベトナム、2001年アメリカにとその架け橋が繋がって、今やアフリカやヨーロッパからも問い合わせが来ている。
1997年群馬県で行われた第4回厚生大臣杯では、対戦記録用紙が群馬県バレーボール協会(堤清夫理事長)塚田元期氏の手で改正されている。
1998年7月に、日本フロアバレーボール連盟が結成され、ルール講習や審判練習が本格的に行われるようになった。
2000年には、準拠している6人制バレーボールルールの規則改正に伴い、フロアバレーボールのルールもその特性を生かした形で改正された。
2002年には、2年ごとの見直しに従って改正と解説の加筆が行われた。

                           日本フロアバレーボール連盟競技規則より掲載

     
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